あなたの名前を教えてほしい
2020.3.31. – 4.12. at gallery morning
植物を育てるのが苦手だった。気に入った形の植物を買っては日当たりの良い出窓に鉢を置き、毎日水をやったのに、いつも葉を全部落として枯れてしまった。何となく良いと思ってしていた行為はその植物に合っていなかったと知ったのはもう少し後のこと。私は相手のことを何も理解していなかったのである。
植物のことを知りたくて、調べるほどにわかってきたのは、如何に「ヒト」とは違う生き物かということだった。体を形成する細胞も、生命を維持するシステムも違う。私はこんなに異質なものと、当たり前に日常を過ごしているのかと気付いた途端、恐ろしくなった。
園芸の歴史は長い。古代から、人々は植物の姿を描き、生態を記してきた。西洋では大航海時代に世界中の珍しい植物に注目が集まり、それらを記録した植物画入りの書物が出版されるようになった。日本では、江戸時代に中国から入ってきた本草学が盛んになり、当時の将軍たちの好みも相まって、庶民の間にも趣味の園芸が広まった。現代でも園芸は一つの文化となっている。花屋だけでなく、インテリアのお店でも簡単に、世界各国の珍しい植物の鉢植えを買うことができる。
植物には一つ一つの品種に名前がついている。私が好きだった植物には、「丸くて小さい葉っぱのやつ」ではなく「ミューレンベッキア・コンプレクサ」という名前があった。例えば、よくお店に飾られている白い胡蝶蘭は、ファレノプシス属というラン科の一つで、ファレノプシス・アフロディテという学名がついている。ファレノプシス属は東南アジア原産で、五十種以上の品種がある。すると世の中には五十種以上の育て方があり、個体ごとの状態(まだ株が小さかったり、根が伸びすぎていたり)によって適した環境も違うのである。そもそもラン科には一万五千種以上の品種があるのだ。なんということだろう。今までなんとなく「ラン」と思っていた花たちが、突然こちらに一人一人の顔を向けてきたように感じた。「ファレノプシス・アフロディテ」には「ファレノプシス・アフロディテ」が辿ってきた歴史があった。さらに厳密にはその辿ってきた歴史は、一株ごとに違うのだ。それは、一人一人の「ヒト」がそれぞれの人生を歩んできたことと、あまり変わらないのかもしれないとも思ったのだった。それから私は、ランに興味を持つようになった。
身の回りで手に入る鉢植えには、園芸品種として改良されたものも多い。原種の突然変異を固定化したものや交配によって作られたものである。原種とは、その植物の祖先のような品種のこと。それらを交配し、様々な特徴を有する新たな品種が生まれてくる。どういった特徴を重視するかは、その時代ごとの流行があり、園芸の歴史は、まるでファッションの歴史のように様々なブームと共に進んできた。
園芸は、自然界から人が選び取った部分的な自然を、人工的に育成するという行為である。複雑な自然界そのものではなく、人間界に合わせて翻訳された一部分だ。ヒトが植物を側に置く時、いつでも人間主体の考えが顔を覗かせるということを忘れてはいけないと思っている。
私たちはお互い全く違う時間の流れの中を生きている。体の組成も違えば、必要としているものも違う。そもそも明確に疎通のできない存在同士なのである。それでも私たちは、同じ時代の同じ家の中で生きている。自分の中にある仕組みと違うことは何かを知り、相手のリズムを受け入れ、読み取れるサインを探し、起因を想像する。その一つ一つの植物には名前があり、原産地があり、辿ってきた歴史があり、適した環境がある。自分とは違うことを認め、相手を一つの生命として、尊重し敬意を払うこと。
わからないものは怖い。それはわからないから怖い。わかるまで、私は知りたい。遠ざけたままにしないために。あなたの名前を教えてほしい。私はあなたのことをもっと知りたいから。